それから、ちょっと今何か憲法の守る、守らないということをおっしゃられたんですけれども、今から六十年前の私は成立過程をちょっと勉強している感じから申しますと、昭和二十一年の六月二十四日でありますけれども、共産党を代表して徳田球一議員は、もう今の憲法は絶対に、この憲法を審議することそれ自体が反対であるということをはっきりおっしゃっておられましたし、また八月には野坂参三議員が、今の憲法九条は空文をもてあそぶものである
西修
この点、現行憲法制定の際、沖縄出身共産党書記長・弁護士の徳田球一氏は、人民の交戦権をも否定するのかと吉田茂首相に厳しく詰問しているが、徳田氏は、交戦権の否定は独立の否定と断じていたのである。ただ、現憲法が制定された五十五年前は、我が国が連合軍の統治下にあり、国家の主体性が発揮できなかった。
翻って、国際的には、戦争行為も外交手段の一つとされている。
恵隆之介
中曽根元首相は、ことしの初めに行われたテレビの報道番組に出演し、政治家は純粋性と愛国心を持つ必要がある、理想とかロマンとか純粋性を持たなくちゃいかぬ、浅沼稲次郎とかあるいは徳田球一とか、あるいは日本の右翼連中でも山口二矢とか、ああいう人たちはそういう純粋性を持っていたでしょう、今の政治家に足りないものは愛国的純粋性ですよ、これを我々が若い人にも教え、我々も実践しなくてはいかぬという重大な段階に来たと
久保亘
さらにまた、徳田球一さん。「我々の目標は天皇制を打倒して、人民の総意に基く人民共和政府の樹立にある。」
そしてもう一つ、後のかぎ括弧の部分は、四六年八月二十四日、衆議院本会議において、共産党を代表して、野坂参三さんが強い調子で反対演説をなさっていらっしゃるものの一部であります。
西修
共産党もあのとき、徳田球一君以下皆さん今の憲法に反対されたのであって、それが憲法擁護と言っていらっしゃる。それはどういうわけだろうかと時々私は考えさせられるのであります。
中曽根康弘
○東中委員 人の言ってないことを、「こう演説したのであります、徳田球一君は」、そう言った人が、今度は「私はそう見ておるのであります」。これはあなた、明らかに食言じゃないですか。今言うたこと、本会議場で速記にあらわれたことと違うじゃないですか。あなたが勝手にそういうふうに見ているんだ、こういうことでしょう。
東中光雄
○中曽根内閣総理大臣 東中さんの御質問でございますが、徳田球一さんは、調べてみますと、やはり九十帝国議会で演説をしておるのです。
中曽根康弘
この発言は、今の憲法ができるときこれに反対したのは共産党だ、「しかも、そのときの徳田球一君の演説はどういう演説であったかというと、これは占領憲法であり、外国に強制された憲法であり、軍備のない憲法でどうして国を守れるかと演説したのであります。」こういうふうに断定的に、見てきたように述べられたわけであります。
東中光雄
林さんもおっしゃいましたけれども、実は、昭和二十二年に私も林さんと一緒にこの議席へ来たのでありますが、その前の年に、この今の憲法ができるときにこれに反対したのは、林さんが尊敬している徳田球一君であり、志賀義雄君であったことを御記憶願いたいと思うのであります。
中曽根康弘
アメリカ帝国主義を非常に共産党は攻撃されておるけれども、徳田球一君はマッカーサー司令部の前へ行って、マッカーサー元帥万歳と唱えて謳歌したこともあるんです。そういうことをいま言われても迷惑でしょう。お互いにそういうところは友情を持ってつき合いたいと思います。
中曽根康弘
これは外交関係がないと言いましても、近ごろの世の中では規則にとらわれてしばられておったら、よくするためのいろいろな規則が何にもできないようなしばり方をされて、記録を調べていただくとわかりますが、共産党の徳田球一さんが亡くなったときに、共産党の万から遺骨を受領のために行かれました。そのときは外交関係は中国にありませんから、全然旅券が発行できない。
園田直
これを初めといたしまして、齋藤隆夫、幣原喜重郎、北村徳太郎、川崎秀二、加藤勘十、鈴木茂三郎、吉田茂、星島二郎、西尾末廣、春日正一、徳田球一等々の諸先生を初めといたしまして小澤佐重喜、倉石忠雄、こういう人たちが議会の尊厳を守り、国民の知る権利にこたえようとして全部証人台に出ていられる。
小林進
その点から、実は同じようにいわゆる治安維持法による残酷な刑であり裁判だといっても、恐らく同じような立場に置かれた共産党のかつての書記長でありましたか、徳田球一あるいは志賀義雄氏などはその場で実は復権になっております。
塚本三郎
○櫻田参考人 増本先生にあらかじめ申し上げて、誤解のないように願いたいのですが、私は第一回の中労委の委員で徳田球一君と一緒に大いにやった、労務法制審議会では志賀義雄君と大いにやった。決してさような先入観を持たないでいただきたい。ようございますね。このことだけをお願いして、だから増本さんとひざを突き合わして何ぼでも話せば話は合います。御心配なく。
櫻田武
その証拠に、共産党と社会党は、国会にこれが提案された二十一年には、野坂参三、志賀義雄、徳田球一、それから穂積七郎、細迫兼光、社会党ではこの二人、それから憲法二十九条があったのでは、社会主義政権は樹立できないといって社会党は修正案を出している。
中山正暉
あのとき野坂参三さんはいまの憲法に反対されまして、おそらく象徴天皇にも反対し、憲法九条にも反対し、憲法全体に反対したから、野坂さんや志賀さんは徳田球一さんとともに反対投票されたのだろうと思うのです。それにはそれなりのお考えがあったと思います。しかし、それはそのときの速記録をよくごらんいただかないとわれわれも理解ができないところがあります。
中曽根康弘
また、率直に申しまして、日本共産党徳田球一氏の発言も書かれておりますけれども、その日付は昭和二十八年十二月何日ということになって、三カ所に出てきます。ところが、昭和二十八年十二月には、徳田球一氏はすでにその前に死去しております。そういう非常にどこから出たかわからない、治安当局から出たかわからないかもしれないような文章。
山原健二郎
共産党の徳田球一さんが大いに叱咤激励されたことも覚えておりますけれども、行き過ぎを非常に戒められました。したがって、ただいま国会図書館の副館長をしております岡部君というのが政府委員で、これは運用の妙によって行き過ぎの出ないようにいたしますと、極力陳弁してこれが通ったわけです。したがって、スタートにおいては非常に甘い承認の扱い方をしておった、これはわれわれ、顧みて事実としてそう思います。
佐藤達夫
離職前五年間に在職していた人事院規則で定める国の機関と密接な関係にあるもの」ということでありますから、その「地位で」という、地位を法律上は非常に大きく見ているということ、それから、その会社そのものとの密接な関係ということでございまして、したがいまして、極端な例を申しますと、会社は関係が深くてもこの行き先の地位が関係が深くないものであれば、もう全然この法律は適用外——これは、先ほど触れましたように、徳田球一
佐藤達夫
そこで、先ほども二百四条が、十年が七年になったということでございますが、これもいろいろ理由がございますが、私の記憶では、具体的事例を申し上げますと、二百四条で懲役十年の一審判決があったのは、たしか徳田球一さんが、佐賀で、選挙演説に行ったときに、劇場の上のほうから爆弾か何かを投げられてけがをしたという事件、これはいろいろな関係から殺意が認められないということで傷害罪で処罰されて、たしか一審で懲役十年という
川井英良
私三十年検事をしておりますけれども、単純傷害で十年いきましたのは、共産党の徳田球一さんが佐賀で爆弾を講演中に投げられてけがをした事件、あれはたしか十年いったと思います。
川井英良
当時二十四年の第五国会で、死んだんだけれども、うちの徳田球一議員が、この問題について洗いざらい数字をあげた。その数字の中でも一、二の問題だけでも拾ってみなさい。たいへんな形で、輸入はとてもつもない高いものを押しつけられ、輸出は買いたたかれて持っていかれた。これは決して議論の分かれるところということではなくて、事実としてはっきりと言い得るものなんです。
鈴木市藏
私は破壊活動防止法の第四条二号又、つまり刑法の百九十九条殺人を扇動し、教唆するような徒輩は、この破壊活動防止法第四条違反として責任を追及できるのじゃなかろうかと思うわけでありますが、これは法務大臣でも、公安調査庁の長官でも、あるいは公安審査委員会の委員長もお見えになっておりますから、どなたでもよろしゅうございますが、この山口少年の行為を大いに是認し、そうしてこれを英雄とし、しかも徳田球一を襲撃した人物
猪俣浩三
○坂本委員 この治安確立同志会は、徳田球一氏を襲撃した古賀一郎氏が副会長であり、さらに淺沼委員長が山口ニ矢に殺害をされまして、その後この治安確立同志会と同じところに山口ニ矢救援会本部、こういう看板がかかっておるわけでございます。従いまして献金は昨年の七月四日ですが、引き続いてこの治安確立同志会が暗躍をしまして、そうしてさらに今度の山口の救援会木部を作っておる。
坂本泰良
○猪俣委員 徳田球一を襲撃した古賀という人物、あれがテレビだかニュースに言っている。あれは治安確立同志会なるものの副会長である。治安確立同志会は政治団体としてちゃんと届けています。警察庁が出した右翼団体の中にちゃんと出ている、その副会長たる人物だ。だからある一定の政治信条を支持し、主張し、あるいはある主張に対して反対する団体であることは明らかである。そこの責任ある幹部です。
猪俣浩三